当たり前といえば当たり前のことだが、ちょくちょく芝居を観ている。毎年少なくとも20本以上は観ている(映画も、同じくらいの本数を映画館で観ている)。数えたら2006年は27本の芝居を観た。金銭的余裕がもっとあれば、本数を増やせるのだが……。
芝居を観始めたのは高校の演劇部に入ってからだが、その頃は、その時その場所に集まった人達だけが共有する、実演の醍醐味にすっかり魅了されていた。芝居が終わり役者も退場した空の舞台を見ながら、あの劇的な時間はひょっとしたら幻だったんじゃないかと感じたものだ。
しかし観劇を重ねるうちにそういった原初的な感動は薄れていき、自分がプロの舞台に出るようになったこともあり、もはや完全な観客としての見方は出来なくなってしまったように思う。もちろん今でも観劇が好きだから行くのだが、リサーチの要素が強くなっている。
高校生の頃から、見る目を養うことで自分の芝居も向上する、という意識がどこかにあったし、見巧者になっていくというのはそういうことかもしれないが、それはそれでちょっとさみしいものである。
観劇に何を求めるかは人それぞれだろう。感動したいから、泣きたいから、笑いたいから、あの俳優が、あの演出が観たいから。
で、僕の場合は、総毛立つ瞬間を味わいたいから。
これは、感動する、や、興奮する、とはちょっと違う気がする。
どんなタイプの作風でも、どんな形での感動、刺激、衝撃でもいい。もの凄く劇的な演出や演技だから総毛立つ場合もあるし、何気ないシーンの中で役者が発した、ある台詞に総毛立つこともある。鳥肌が立つくらいおかしくて笑える、ということもある。
もちろん自分が芝居をする側のときは、そういう瞬間を味わう人がいてくれたらいいな、と思っている。
ところで、演劇は他のメディアに比べて、総毛立つ割合が多いような気がする。これは演劇が、観る側により多くのエネルギーを要求することと関係あると思うのだが、それはまた別の機会に考えよう。
で、今回はどうしてこんな話になったかというと、確定申告の季節なので、必要経費としての研究費(観劇費)を整理していたからだけなのでした。
芝居を観始めたのは高校の演劇部に入ってからだが、その頃は、その時その場所に集まった人達だけが共有する、実演の醍醐味にすっかり魅了されていた。芝居が終わり役者も退場した空の舞台を見ながら、あの劇的な時間はひょっとしたら幻だったんじゃないかと感じたものだ。
しかし観劇を重ねるうちにそういった原初的な感動は薄れていき、自分がプロの舞台に出るようになったこともあり、もはや完全な観客としての見方は出来なくなってしまったように思う。もちろん今でも観劇が好きだから行くのだが、リサーチの要素が強くなっている。
高校生の頃から、見る目を養うことで自分の芝居も向上する、という意識がどこかにあったし、見巧者になっていくというのはそういうことかもしれないが、それはそれでちょっとさみしいものである。
観劇に何を求めるかは人それぞれだろう。感動したいから、泣きたいから、笑いたいから、あの俳優が、あの演出が観たいから。
で、僕の場合は、総毛立つ瞬間を味わいたいから。
これは、感動する、や、興奮する、とはちょっと違う気がする。
どんなタイプの作風でも、どんな形での感動、刺激、衝撃でもいい。もの凄く劇的な演出や演技だから総毛立つ場合もあるし、何気ないシーンの中で役者が発した、ある台詞に総毛立つこともある。鳥肌が立つくらいおかしくて笑える、ということもある。
もちろん自分が芝居をする側のときは、そういう瞬間を味わう人がいてくれたらいいな、と思っている。
ところで、演劇は他のメディアに比べて、総毛立つ割合が多いような気がする。これは演劇が、観る側により多くのエネルギーを要求することと関係あると思うのだが、それはまた別の機会に考えよう。
で、今回はどうしてこんな話になったかというと、確定申告の季節なので、必要経費としての研究費(観劇費)を整理していたからだけなのでした。
コメント
コメント一覧 (1)
総毛立つ割合の高さ、わかる気がします。それと少し違うかもしれませんが、演劇って実際に目の前だから直に刺激が届いて、終わった後でも長く強烈な余韻を残してくれます。その感覚に浸るのが好きなので、(財布の許す限り)観劇は続けたいです。
完全100%観客側の者として、これからも神保さんの活躍を期待&応援します