エミリオ・エステベス監督『ボビー』という映画を観る。
本編中でのロバート・F・ケネディの演説は、時代や政治、国家を越えて響くものがある。

2001年9月にアメリカ同時多発テロが起きた時、深夜にテレビを見ながらその恐ろしさに衝撃を受けると同時に、この先行われるであろう、このテロに対する報復によって更に多くの人が犠牲になるのだろうな、と思っていた。
暴力の連鎖の恐ろしさとそれを克服する姿勢を、RFKはベトナム戦争時に呼びかけていた。
その後、ベトナム戦争が終わると当時の過ちや異常性を描いた映画が多く製作され評価を受けた。
それなのに、である。

攻撃されるという恐怖の渦中にいなかった僕はその不安を想像することしかできない。しかしそうなった時、報復(または自己防衛のための攻撃)を望む心理は自分にも簡単に働くものだと思う。
アメリカではここ2、3年で再び、現状の危険性を巧みに描いた映画が公開されるようになった(企画自体はもっと以前からだろう)。世論も大分変わってきている。
米国民は報復への思いを克服したのか、それとも時間と共に和らいだだけなのだろうか。もし後者だとすると、またいつか湧き上がる時が来るのだろうか。

ちなみに、米同時多発テロが起きた当時は『2001・待つ』という作品の稽古中だったのだが、「自分達のやってることって意味があるのかな」と感じたことを覚えている。もちろん何らかの意味があるには違いないのだけれど。