ちょっと待った!は通用しない 〜神保良介Blog〜

役者・神保が身のまわりのことやら自分に起こったことやら考えていることなどを書き綴った、その記録。

2019年06月

池袋の新文芸坐で萩原健一追悼特集上映が行われていて、2度行った。

僕はもちろんショーケン世代ではないし、あまり詳しくもないけれど、萩原健一はやはり特別な俳優だという印象がある。

さらに言えば、かつて蜷川さんのところにいた身として、萩原健一は親近感が湧くというかシンパシーを感じる存在でもあるのです。おこがましいけれど。

萩原さんは俳優活動をする前の時代から蜷川さんと親交があって、当時小劇場で上演されていた蜷川作品や出演者の演技に強い影響を受けていた。
蜷川さんも萩原さんの感性に強く刺激されて、一緒に『ハムレット』や『近代能楽集 弱法師』をやりたかったそうだが、結局は後年に映画『魔性の夏 四谷怪談より』で仕事をしている。

そういうこともあって、萩原健一さんの表現の根底に流れているものに、どこか近しいものを感じてしまうのです。強い憧れをもって。重ね重ねおこがましいけれど。

自伝『ショーケン』やインタビュー本『日本映画[監督・俳優]論』は繰り返し読んでいるすごく面白い本だが、萩原さんがどれだけの熱量をもって仕事に取り組んでいたか、勉強家で、リサーチを重ねた上で独自の表現を探求していたかがわかる。

ショーケン
萩原 健一


入念な準備を経て、本番では野性的な演技に昇華するんだから、そりゃ凄い。

新文芸坐の特集上映では『約束』『雨のアムステルダム』『誘拐報道』『いつかギラギラする日』を観た。

スクリーンに映るいろんな時代の萩原健一は、身体を張って演じ、心も張って演じていた。
演じる役が傷つく時、萩原健一自身の身体も心も削っている。
重厚な芝居の時も軽妙な芝居の時も。とことん、ぶざまなくらいに。
その瞬間が最も輝いて見えた。

で、やっぱりどこかでシンパシーを感じてしまうのです、深い尊敬と強い憧れをもって。

萩原健一さん、おつかれさまでした。ありがとうございました。
これからもいろいろと学ばせて頂きます。



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日本語吹き替えの仕事をやらせて頂きました。


洋画の吹き替えといえば、独特の台詞の節回しや声音を使って喋る、というイメージを持っていました。

ですがそうでなく、普通に喋って演じてほしいというディレクションで、意外でしたし、むしろ吹き替えっぽくない芝居で映像に声を当てる方が挑戦でした。

でも考えてみたら、舞台で翻訳劇をやる時だって、

いかにも、
「ワタシ外国人です」
みたいな、
「ハーイ俺はジミーさ!」
みたいな(伝われ)

そういうのは避けて自然なところに落とし込んで演じるし、あ、結局はおなじことなのだな、と。

そんな初めての体験でした。

今後も声の仕事も続けていければと思っております!

ではまた。



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