去る9月27日、『復活』の公演会場となる芝公園での野外稽古を終えたその足で深夜高速バスに飛び乗り、福島県へ行ってきました。

福島第一原発事故以降の福島の状況については様々な媒体から知識を得ていましたが、実際に自分の五感で捉えたいと思い、0泊2日(実質的な滞在時間は丸一日くらい)という短すぎる時間でしたが、いろいろ見て回りました。

夜明け前に福島駅前に到着。
朝を待って駅前のレンタカー屋で車を借りて8時過ぎに出発。
東へ車を走らせ、10時前に飯舘村に到着しました。

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村役場の玄関前には現在の放射線量を測る機械。そのようなものが設置されているという現実にぞっとしました。
これによると役場前はだいたい2.6〜2.8μSv/hで、ここで暮らせば年間許容量とされる基準値1mSvを超えることになります(ちなみに東京都内でも場所によってはいまも1μSv/hくらいの放射線量が検出されているらしいです)。
特に飯舘村の土などでは原発敷地内と同じかそれより高い放射線量が検出されるところもあるそうで、飯舘にいる間は土の上を歩くのはなるべく避けました。
福島へ行く前には、ガイガーカウンターがあったらよかったのにな、と思いましたが、今思い返すと、もし放射線量が逐一分かっていたら、恐ろしくてすぐに立ち去っていたかもしれません。

広くて立派な役場(働いていたのは5人ほどでした)を含め、この付近一帯の街並みは造りが新しく、近年になって再整備されたことをうかがわせますが、道には雑草が生え、アスファルトの歩道からは腰の高さを超すくらい植物が伸びていました。

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役場から通りを挟んで建つ飯舘中学校は4月から学校の機能を他所の町へ移しているらしく、人の気配が全くない新しい造りの校舎は少しずつ風化を始めているようにも見えました。
閉鎖された校舎、部室、体育館。

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体育館の中を覗くと、もしかして一時期は避難所として利用されていたように見える設えが残っていました。
3月の原発爆発事故の時には大勢の人たちが飯舘村に避難してきたことを思い出しました。

東京から車で5時間ほどの場所、同じ日本国内にこういう現実がある。そのギャップに衝撃を受け、恐怖しました。
人は見当たらず、別の場所を目指しているだろう車が時折通過するくらい。しんとしていて、聞こえるのは鳥や虫の声だけ。
その付近では唯一、老人介護施設だけは駐車場に車がたくさん停まっていて人の気配があったのが印象的でした。

ひとまず飯舘村を後にし、原発20km圏の南相馬市を目指して再び車を走らせました。

(続く)