ちょっと待った!は通用しない 〜神保良介Blog〜

役者・神保が身のまわりのことやら自分に起こったことやら考えていることなどを書き綴った、その記録。

2011年10月

週末のタワー
↑ 週末の東京タワーは、20時くらいからこういうライティングになるようです。

ピーチャム・カンパニー『復活』、公演が始まりました!
夜にしか上演できないのであと5日間、5ステージです。

芝公園集会広場での舞台稽古は、これまた熾烈を極め(稽古場ではどうにもケイコのしようがない箇所がけっこうありましたから)、全員が一丸となって初日の幕を開けることが出来ました。

2ステージ目は、午後から雨が降ったり止んだりしてましたが、開演前には見事に止んで、ラスト数分だけぽつりぽつり降ってきた程度で、胸をなでおろしました。
初日の緊張から解放されて、ほんの少しだけ余裕を持って演じることが出来ました。
それでも必死なんですけどね。

しかし、実際にやってみると、なんとまあ壮大なことか。
「普段は小劇場で公演している劇団がなんでこんなに規模のデカいことをやってるんだろう」、と、不思議に思います。
好き嫌いは別にして、こんな演劇は、そう滅多に観られるもんじゃないです。だから、観て頂きたいのです。
神保も全力で演じています。

最後にお願いが。
しつこいようですが、外で2時間じっと座っていると相当冷えます。特に体の末端が冷えてきます。
野外劇を観た第一感想が「寒かった」では、お客さんも我々もなんだか不幸ですので、どうか、お手数ではありますけども、防寒の準備をしっかりしてきて下さい。
そうは言い続けていてもみなさん、言葉は悪いですが寒さを甘く見てらっしゃる方も多いです。「やり過ぎじゃないか?」ってくらいの防寒で丁度良いと思います。
例えるならスキー場の格好と同じでよいくらいです。

最後まで良い天気でやれそうです!
お待ちしてます!

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芝公園
そんなわけで、ふた月近く稽古してきたピーチャム・カンパニー『復活』、いよいよ初日を今週の土曜日に控え、芝公園集会広場で舞台稽古を行っています。

通りすがりの人たちも、日常的に公園を訪れている人たちも、一体何が始まるのだろうと足を止めて興味津々で遠巻きに見ていかれます。

空っぽの楕円形の広場には舞台装置や客席が設営され、劇場とは全く異なる演劇空間と化しつつあります。
そこへ照明、音響、そして野外劇ならではのあんなものやこんなものが加わり、その中で役者たちが縦横無尽に動き回り、演じます。
そのすぐ背後にはライトアップされた東京タワーが聳え立っています。

歌あり、踊りあり、他にもここでは書けませんが、いろいろ盛り沢山です。

もうね、客席で見ていても、演技していてもわくわくしてきますよ。
「まさか演劇の演技でこんなことがやれるなんて!」と舞台稽古をしながら感動したりしています(だからこそ難しくもあるのですが)。
役者がそう感じるということは、観劇するお客様にもそう感じて頂けると思います。

そしてそして、どうやらお天気も我々の味方になってくれそうで、なんだか良い風が吹いているみたいです。

注意点としましては、とにかく暖かくしてご覧になって頂きたい。
共演者の人たちも言っていましたが、冬場のスポーツ観戦をするつもりで準備してきて頂けるといいと思います。
おすすめするのは、客席椅子に敷いて座るもの(クッションがあれば良いですし、新聞紙でも良いでしょう)と、あと、膝掛けですね。
楽しんで観劇頂くためにも、強くお勧めします。

こんな演劇、この機会を逃したらもう観られないです。
是非、是非、芝公園へお越し下さい。

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SAKASU ZAKASU 第二回公演『hondana』

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演出:福島三郎
作:松坂早苗

出演:綱島郷太郎(青年座)、内谷正文(フランクエイジ)、木津誠之(文学座)、神保良介
安井真理子、春日井静奈 (SAKASU ZAKASU)、松坂早苗(SAKASU ZAKASU) / 歌川椎子

2012年1月19日(木)〜24日(火) SPACE雑遊

19日(木)19:00
20日(金)19:00
21日(土)13:00/17:00
22日(日)13:00/17:00
23日(月)19:00
24日(火)13:00/17:00

チケット<全席自由>:前売 3500円 当日 3800円

全公演終了しました。ありがとうございました。
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福島第一原発20km圏の外をうろうろしながら車を走らせました。

あちこちで雑草が生い茂って小さな原っぱのようになった田んぼを見ました。
閉店してしまっている店を見ました。

日が傾きかけた頃、少しずつ福島市へと戻る道中、再び飯舘村に寄りました。
朝訪れた時と変わらず、村役場前の線量計は約2.8μSv/hくらいを表示していました。やはり人気はありません。
行きに通ったのとは別ルートで福島市へ帰ろうと、村内をしばらく走っていました。
「この先車両通行禁止」という札が道を塞いでいる場所に行きあたり、しかし見たところ道路が破損しているとか、そういう感じではなかったので、車を停め、徒歩でその先に行ってみることにしました。

飯舘村にて

民家が点在し、他には集会場や小さな商店などが並ぶ通りでした。
ただ静かだということと、人気のない静けさとは全くの別物です。
たとえば夜に静かな住宅街を歩いていたとして、いくら静かだといっても何らかの人の立てる音は聞こえています。それが、ないのです。

雑草がうっそうと茂り、植木鉢の植物も枯れてしまっていて、人が住んでいる様子のない家々を眺めながら歩いていると、先の方に猫が何匹かいました。

少し距離をとったところから動かずじっとこちらを見ています。飼い猫(であった)ということはその雰囲気から分かるのですが、どこか様子がおかしい。
しゃがんで「おいで」と呼んでみても、近寄りもせず、といって行ってしまうわけでもなく、じっと見ているだけですが、そこには緊張が感じられます。

猫が身近にいた経験がないので詳しくはありませんが、その居方や目の感じが、飼い猫とも野良猫とも違う、ある種異様な感じがするのです。
文章に表すのが難しいのですが、人への警戒と親しみが混在してせめぎ合っているような感じとでもいうのか。

避難した住民の人たちが、置いていかざるを得なかった犬や猫たちに餌をやりに定期的に戻っているらしいですが、そうして生きている猫たちだったのでしょうか。

飯舘村

ほとんどの家に人は住んでいませんでしたが、ごくたまに、生活の気配のある家も見えました。

しばらく歩いたところで引き返して車に乗り込み、少し走ったところで、今度は前方から犬が2匹、車道を歩いてきました。
辺りに人家のない場所です。
減速して車を停止させました。

犬たちはこちらの姿(車に乗っています)を認めると、歩みを緩めました。
首輪はしていますが体は汚れていて毛並みも乱れ、明らかに現在飼われていないことは分かります。
さすがに車を降りて近寄ろうとは思えませんでした。
片方の犬は以前怪我をしたのか、前足の関節に大きな瘤がありました。
2匹は、しかし寄ってくるわけでなく、こちらを認識はしているけれどさほど関心がないようで、度々立ち止まってこちらを振り返りながらも、そのまま道を行ってしまいました。

先刻の猫同様にこの犬たちからも、人への警戒と親しみの入り混じった感じを受けました。
どちらも、半分くらい野生化してしまっていたのだと思います。

この一日で様々な衝撃的な現実を見ていましたが、僕にとっては、飯舘村で遭遇したこの猫や犬たちの様子が最も心に突き刺さりました。いまもまざまざと思い出すことができます。
おそらくこのまま事態は変わることなく、そうして冬を迎えた時、この動物たちは生き延びることができるのだろうか。
そう思うと何とも心が重く、車の運転が辛くなって、次の町に着いたところで路肩に停めてしばらくぼおっとしていました。

日が暮れて、福島市に戻ってきたのは19時前。
会社帰りの人や学生で賑わう福島駅前を歩いていると、ついほんの先ほどまで自分がいたところとここが、全くの別世界にしか見えなくて、なんともやるせない気持ちでした。

その日の深夜に再び高速バスに乗り、翌日の明け方に新宿駅前に着きました。
再び、福島駅前で受けたあの感覚が、一層強くなって迫ってきました。

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そうしてその日の昼には芝居の稽古に行きました。
実は、福島へは行きたいと前から考えていましたが、敢えてこの稽古期間中に強引に決行したのには訳があって、それはこの『復活』という作品と関係があります。
この時期に、一日だけでしたが、福島に行くことが出来て良かったと思っています。
福島を経験したのとしていないのとでは、何か大きく違ってしまっていたかもしれません。
そして、この福島での体験をしっかりとこの作品で生かしていくことが出来そうです。
『復活』、ぜひご覧ください。
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福島市から飯舘村。そして更に東へ。
福島第一原発20km圏の境はどうなっているのか、見てみたかったのです。

崩壊した家屋と道端の花

車を走らせていて印象に残ったのは、道端に咲く花が、手入れされているものも自然に生えているものも、東京などで見かけるそれより色がずいぶんと濃く見えたことです。
人気がない場所でもも、震災の影響を受けていたり、おそらく放射能汚染の度合いが強い場所でも、花々が、まるで主張するかのように色鮮やかに咲き誇っている花々は、ある種異様でもありました。

平日の水曜日だったのですが、道中見かけた学校は休みのようで、校庭にシャベルカーなどの重機があり、どうやら土の表面を削っているようでした。
特に学校の校庭の土には放射能汚染が強いというケースはよく報じられていますが、その除去作業だったのか。
南相馬に限らず、この日、福島市を出て以降、道沿いから見えた学校はどれも、シャベルカーが校庭で作業していたように思います。

南相馬海岸

街を通過し、ひとまず、海岸に出ました。
地震、津波の傷跡が生々しく残っており、印象的だったのは、おそらく津波が原因で家の壁が崩れて、中には様々な生活用品が散乱したままの家屋がある一方で、そのすぐ隣の家は見たところほぼ無傷で、普通に生活をしていたことです。
位置関係としては、海岸⇒破壊された家⇒無事だった家、という並びで、海岸に近いほうの家屋が壁となってもう一軒の家を守ったように見受けられました。
ちょっとした位置関係で、全く違った結果を受けなければならなかった、その現実を見たような気がしました。

車


ひしゃげた鉄塔

近くに見える小高い山に建つ大きな鉄塔はぐにゃりとひしゃげていて、それがあまりにも当然のようにそうしてあるものだから、しばらくそのことに気付きませんでした。

20km圏検問

そういえば、20km圏に近づくにつれ、様々な県警の車両とすれ違いようになりました。また、パトロール巡回している車両(パトカーであったり有志の人たちによるものであったり)も多く見かけるようになってきました。
20km圏に近づくと、「この先通り抜けできません」という表示があった先に検問が敷かれていました。
その、どちらかといえば簡易な検問を眺めながら、20kmという範囲設定にどれだけの意味があるのか、と思いました。

福島市へ帰る時間のことを気にしながら、20km圏の円の周りに沿うようにして車を走らせ、いくつかの道から境へ向かってみましたが、どこも同じような検問が敷かれていました。
山道では地震の影響でいまだ通行止めになっているところが多くあり、何度か引き換えさなければなりませんでした。

そうして、南下したりしながら少しずつ西へ戻り、ふたたび飯舘村に着きました。

(続く)
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去る9月27日、『復活』の公演会場となる芝公園での野外稽古を終えたその足で深夜高速バスに飛び乗り、福島県へ行ってきました。

福島第一原発事故以降の福島の状況については様々な媒体から知識を得ていましたが、実際に自分の五感で捉えたいと思い、0泊2日(実質的な滞在時間は丸一日くらい)という短すぎる時間でしたが、いろいろ見て回りました。

夜明け前に福島駅前に到着。
朝を待って駅前のレンタカー屋で車を借りて8時過ぎに出発。
東へ車を走らせ、10時前に飯舘村に到着しました。

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村役場の玄関前には現在の放射線量を測る機械。そのようなものが設置されているという現実にぞっとしました。
これによると役場前はだいたい2.6〜2.8μSv/hで、ここで暮らせば年間許容量とされる基準値1mSvを超えることになります(ちなみに東京都内でも場所によってはいまも1μSv/hくらいの放射線量が検出されているらしいです)。
特に飯舘村の土などでは原発敷地内と同じかそれより高い放射線量が検出されるところもあるそうで、飯舘にいる間は土の上を歩くのはなるべく避けました。
福島へ行く前には、ガイガーカウンターがあったらよかったのにな、と思いましたが、今思い返すと、もし放射線量が逐一分かっていたら、恐ろしくてすぐに立ち去っていたかもしれません。

広くて立派な役場(働いていたのは5人ほどでした)を含め、この付近一帯の街並みは造りが新しく、近年になって再整備されたことをうかがわせますが、道には雑草が生え、アスファルトの歩道からは腰の高さを超すくらい植物が伸びていました。

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役場から通りを挟んで建つ飯舘中学校は4月から学校の機能を他所の町へ移しているらしく、人の気配が全くない新しい造りの校舎は少しずつ風化を始めているようにも見えました。
閉鎖された校舎、部室、体育館。

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体育館の中を覗くと、もしかして一時期は避難所として利用されていたように見える設えが残っていました。
3月の原発爆発事故の時には大勢の人たちが飯舘村に避難してきたことを思い出しました。

東京から車で5時間ほどの場所、同じ日本国内にこういう現実がある。そのギャップに衝撃を受け、恐怖しました。
人は見当たらず、別の場所を目指しているだろう車が時折通過するくらい。しんとしていて、聞こえるのは鳥や虫の声だけ。
その付近では唯一、老人介護施設だけは駐車場に車がたくさん停まっていて人の気配があったのが印象的でした。

ひとまず飯舘村を後にし、原発20km圏の南相馬市を目指して再び車を走らせました。

(続く)
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