ちょっと待った!は通用しない 〜神保良介Blog〜

役者・神保が身のまわりのことやら自分に起こったことやら考えていることなどを書き綴った、その記録。

『ファミリー・タイズ』というアメリカのSitcom(シットコム)をご存知だろうか。本国で圧倒的な視聴率を獲得し、日本では80年代半ばごろテレビ東京系で放送されていた番組だ(いまでもケーブルチャンネルでは再放送しているらしい)。
子どもの頃(7、8歳くらいだったと思う)、大好きで毎週見ていたから、出演者たち、特にマイケル・J・フォックス(これが出世作となった)の演技には無意識のうちにかなり影響を受けたはずだ。

その『ファミリー・タイズ』がアメリカで遂にDVD発売された。しかも日本未放送のシーズン1。日本版の発売を待っていられないから早速米版を取り寄せた。Family Ties
見たら、やはりフォックスの間やタイミングのとり方、緩急や誇張の按配、役自身は真剣に悩んだり葛藤したりする行為を、リアルでもあり愉快でもある演技で見せるやり方など、改めて役者としての自分への影響の強さを実感した。

Sitcomといえば観客の笑い声がバックに聞こえるが、あれは観客の前でライヴで演じ、その笑い声も含めて収録するという形で作られているから。そのため、映像での作品なんだけど、そのリアリティや演技は舞台のそれに近い。舞台役者として、子どもの頃から良い教材に出会っていたといえる。
1話が約25分だから、ちょっとした時間で楽しめるし、参考にもなる。早く次シーズンも発売されないかな〜。
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このブログを立ち上げて2週間。質や内容はこの際無視して、少なくとも僕は、文章を書くのは好きな様である。
しかし書いていて自分で思うのだが、どうもこのブログにおける僕の文章は堅い、というか、どこかしら親しみにくいものがある。
それに長い。なんかやたらと長い。「長い」と書きたいのに3回連続でまず「永井」と変換されるのはどうしてだ。僕の知り合いに「長い」さん、じゃなかった、「永井」さんはいないのに(ここでやっと「長い」が最初に出てきた)。
前回の投稿で、原稿用紙にして4枚分くらいの文章を書いてしまったときはさすがに校正したが、それでも3枚分にしかならなかった。
別に誰に要求されたわけでもなく、自分にノルマを課しているわけでもなく、好きに書いてこの長さだから個人的には問題ないのだが、読む方にしてみれば厄介なものだろう。

参考のためにいま一度、以前一緒にお仕事したことのある、いわゆる有名人の方達のブログを覗かせていただくと、おや、その方の日々の断片が、親近感の湧く、砕けた感じの文章で綴られ、時には写真や絵文字も織り込まれ、彩られているではないか、あたかもブログが画面上で小躍りでもしているかのように生き生きしている。
では、いわゆる芸能事に関わっていない方々のブログはどうかというと、おっと、これまた何だかこちらまでうきうきしてくるような文章や、写真や、時には絵文字が目に飛び込んでくる。

これが、自分に出来るのか……?

いえね、写真はそりゃいまのところはないけど、そのうちに何か撮ったりして、載せてみようとは思っていますよ。
でも現時点では特に名の知られていない、いち役者が、というか僕が、おいしいお菓子を食べました! とか、今日はいい陽気なので散歩に出たら、こんな花が! とか、はたまた、このマンガが! このゲームが! このファッションが! とか、書いても、別にだからそれが何だよっていうことはないですか? え、ありですか? そうですか……じゃあ、そういうのも自分なりにやってみます。
ただ絵文字は使わなくてもいいですよね。自分としてはむしろ文字だけの方が楽なので。

あ、念のためお断りしておきますが、僕は決して他の方々のブログを非難しているわけでも、小馬鹿にしているわけでもありません。僕個人がブログをやるにあたっての趣味嗜好の問題です。

ということで、これからはですね、ちょこっと真面目なことを「である」調で書くときもあれば、どーでもいいようなことをざっくばらんに喋り言葉っぽく書くときもある、という風に、もうちょっとヴァリエーションをつけてですね、やっていこうかなと思います。
と書いてるこの文章も原稿用紙にして3枚分になってしまいました。誰に迷惑かけるわけでもないですけど、あいすみません。
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当たり前といえば当たり前のことだが、ちょくちょく芝居を観ている。毎年少なくとも20本以上は観ている(映画も、同じくらいの本数を映画館で観ている)。数えたら2006年は27本の芝居を観た。金銭的余裕がもっとあれば、本数を増やせるのだが……。

芝居を観始めたのは高校の演劇部に入ってからだが、その頃は、その時その場所に集まった人達だけが共有する、実演の醍醐味にすっかり魅了されていた。芝居が終わり役者も退場した空の舞台を見ながら、あの劇的な時間はひょっとしたら幻だったんじゃないかと感じたものだ。
しかし観劇を重ねるうちにそういった原初的な感動は薄れていき、自分がプロの舞台に出るようになったこともあり、もはや完全な観客としての見方は出来なくなってしまったように思う。もちろん今でも観劇が好きだから行くのだが、リサーチの要素が強くなっている。
高校生の頃から、見る目を養うことで自分の芝居も向上する、という意識がどこかにあったし、見巧者になっていくというのはそういうことかもしれないが、それはそれでちょっとさみしいものである。

観劇に何を求めるかは人それぞれだろう。感動したいから、泣きたいから、笑いたいから、あの俳優が、あの演出が観たいから。
で、僕の場合は、総毛立つ瞬間を味わいたいから。
これは、感動する、や、興奮する、とはちょっと違う気がする。
どんなタイプの作風でも、どんな形での感動、刺激、衝撃でもいい。もの凄く劇的な演出や演技だから総毛立つ場合もあるし、何気ないシーンの中で役者が発した、ある台詞に総毛立つこともある。鳥肌が立つくらいおかしくて笑える、ということもある。
もちろん自分が芝居をする側のときは、そういう瞬間を味わう人がいてくれたらいいな、と思っている。
ところで、演劇は他のメディアに比べて、総毛立つ割合が多いような気がする。これは演劇が、観る側により多くのエネルギーを要求することと関係あると思うのだが、それはまた別の機会に考えよう。

で、今回はどうしてこんな話になったかというと、確定申告の季節なので、必要経費としての研究費(観劇費)を整理していたからだけなのでした。
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